2011年3月11日・・・その日
2011年3月11日はいわき市で10:00からイベントの打ち合わせ。その後いわき市内で何件か営業し、お昼はいわき市小名浜の源太ずしでランチをとりました。
この2時間後にこのような地震に遭遇するとは思ってもみませんでした。
14時46分、小名浜町内を車で移動中に携帯電話の緊急地震速報がなりました。車を側道によせて、様子を見てみると大きな揺れが・・・車のブレーキをしっかり踏んでいないと車が動き出しそうです。
自転車に乗っている人は自転車から飛び降り、電柱にしがみついていましたが、その電柱も倒れそうなぐらい揺れています。すぐそばの工場のサッシが全部自動的に開き、積んであった石が次々と倒れ、工場の外で働いている人は立っていることができずに座り込んでいました。
正面を見ると、遠くの山から杉花粉の黄色い煙が上空にもくもくと立ちあがっています。
「15時5分ごろに相馬に津波が到達する」というラジオの情報を聴き、危険を感じ、山に向かって車を走らせました。途中の道は地割れがあったり、液状化があったり・・・・山道はがけ崩れ、落石・・・とにかく自宅のある福島市を目指し走りました。
自宅では家族、市内に住む母の無事も確認できました。
あれから8日がたち、全員無事で過ごしています。とてもありがたいことです。
そして・・・今日も朝が来ました。
コメント/トラックバック (4件)
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- 11/3/20 @ 8:36 PM 投稿者:webmaster
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ありがとうございます。
少し落ち着いたら福島にも来てくださいね。
- 11/3/21 @ 12:37 PM 投稿者:小林
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御無事で何よりです。
いわきの友人が商用で小名浜に行っていて、間一髪で難を逃れ、納車に行っていた社員の方は、津波に飲まれたものの、車のガラスをけ破って、流れてきた家の屋根につかまって助かった、と聞きました。
亡くなられた方も多く、御冥福を祈るばかりです。
双葉町の姉夫婦は、津波襲来の一報で川俣まで渋滞のなかを避難し、今は、福島市の我が家で一緒に生活しております。
原発はまだまだ予断を許さないですが、高速バスが動き始めましたので、週末、家族や家の様子確認で福島に戻ります。
こちらも、物資不足は続いていますが、中央政府の至らなさと裏腹に、地元自治体の自立と努力、住民の助け合いに大きなともしびを見る思いがします。
- 11/3/21 @ 12:54 PM 投稿者:webmaster
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これから自分になにができるのか?なにを求められるのか?それを見極めて行動しようと思っています。
そのときは、是非、力を貸してください。
本当に本当にご無事で良かったです。仙台で生まれ育ち、福島とご縁を頂いてふれあい福島サウンド・フリーウェイで、私自身が地元の方たちと温かい会話やご縁を紡がせていただいた場所。全ての人が無事であって欲しいと願わずにはいられません。まだ余震も続いています。どうぞお体を大切に。又、太陽のような笑顔と出会う日が早くに来る事を願っています。
しばらくはいつも通りといかない生活なのだと思いますが、がんばってくださいね。